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『総合自然食品店ふきのとう』店主・佐藤健一の履歴書です。
【特技】
- 電話の声だけで相手の性格や、体の悪い所が大体わかる事(中学時代に腎臓病を患ってから)
- 一日おにぎり一個で、お腹が充分に満足出来る事
- 一回、10時間寝れば1週間は、睡眠時間が4時間でもOKな事
顔や後姿で、相手の健康バランスや、生活の仕方が分かる事(確立・・・%ですが)
【今までの経歴】
0歳
生まれは中標津町(知床に近い町)
6歳
小学一年生に上がるときに親の都合で、訓子府町へ転居→高校時代まで。
訓子府町在住、伊藤君(哲人秀さん)とは小学4年〜6年まで同じクラスでした。
彼は一番頭がよく、スポーツも万能でクラスの皆から信頼される第一人者でした。
ちなみに夏休みの前日に宿題全部をやってもらった記憶があります。
14歳
病弱だったのが夏冬スポーツをしているうちにまったく健康体になり、勉学はせずに遊びに夢中の中、腎臓病で死の淵に・・・・
その後、全身アトピーで全ての薬が合わず7ヶ月自宅療養、人生の厳しさを始めて体験、その後勉学は無意味と感じ、近所の子供達と遊ぶ毎日、多い時には20人ほど子供達が家に集ってくる。姉達が「可愛いけどもう、連れてこないで!」と
18歳
担任教師に「出来の悪い奴ほど大学で学べ」と云われ東洋大学社会学部の夜間部へ入学、家庭の都合で、川口市の鉄工所で働きながら、学校の休みの日は、夜喫茶店でバイトの連続。土曜日、日曜日は野球クラブに誘われ、当時一試合1000円で(今で1万円位)投手でバイト
22歳
(高校も定時制で4年の為)大学は3年で単位を取得し、大学4年の時に「カメラのきむら」へ入社。翌年冬眠していた野球部を復活させ、仕事で怒られていた先輩を指導する立場に
25歳
見合い結婚(遠距離のため恋愛期間10日間)、3ヵ月後肝臓を患い会社をやめ、北見に戻り喫茶店を開業。一年目は軌道にのらず休みなし、妻に「俺と結婚したら幸せになる、と云ったのに何さ」と毎日、文句を言われ「ゴメン、ゴメン」と謝罪のしっぱなし。
37歳
喫茶店2軒と、パブスナック2軒を経営、「我が世の春」を満喫するが、帰途、なぜか涙止まらず
40歳
昔からの付き合いである農家の青年達に頼まれ、悩んだ末飲食業をやめて「ふきのとう」開業
41歳
道東で初めて、フリーマーケットを主宰し、環境問題の啓蒙を始める
42歳から印刷機を導入し「ふきのとう通信」を毎週B−4紙で裏表3枚発行開始(環境・健康・医学・栄養学・医療・東洋医学・商品説明・新商品紹介・メンタルケアーなど開始)
46歳
O−リングテストの勉強開始。
48歳
Oーリングテストによる、妻との本格的な適合テストを開始。
53歳
無肥料農法の指導を、伊藤君から受け、本格的な自然農法を実践。
自然界の優しさ、厳しさを感じつつ思ったより自分の体力があることに気付く。
朝食摂らず、昼は握り飯と漬け物のみ、汗をかくので水は最低1リットル。
まともな食事は晩飯だけ、これで7ヶ月を過ごす。(ビールが500ml1〜2本)
54歳
植物にも「意識」があることを理解する。
実に人間ほど目先しか見ない「愚かな存在」と気付く。西洋哲学の流れで一面的、短絡的な善悪の考えが日本の教育や大人のこころを可笑しくしている元凶。
56歳
「悔い改める」意味がわかりつつある段階、「すべてに感謝」の意味がわかり始めた。
敵も味方も関係なし、すべては自分の成長のために配置されている。
59歳
ふきのとうが開業20年目を迎えた。
山あり、谷ありの連続だったがこれもお客様、取引先関係者の方々のお陰です。
ご先祖さんの力も感じ自分の力は多分2割くらいしかなかったと思う。
お金の無い人生だったが人に恵まれ、育てられたこの年に乾杯!
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