昔からみたら北海道の冬も、雪が少なく温度も高くなっています。
小学生の頃は一晩で屋根まで積もり、玄関が開かなく窓から出て雪かきをしました。
当然、学校は休みになり家の屋根から飛び降りて、雪の上で泳いだり、3階以上もある木工場の屋根から「どのくらい飛ぶか」競争したりしました。
頭まで雪の中で、皆で引っ張り合いながら真っ白くなって這い上がってきます。もう全身汗だくでした。
遠くから来る農家の人たちは、スキーで畑を横切って、中には1時間以上もかけて学校へくる子供も多かったですね。
当時の雪は大粒のボタン雪。授業中に降りだすと途中下校。
同じ部落へ帰る上級生(5〜6年)が真ん中に下級生を挟んで、迷子にならないようにスキーで送って行きました。
町にいた私は何度かその後姿を見て「大丈夫かな」と子供心に驚いたものです
雪で数メートル先で彼らの姿が見えなくなっているのです。
私は町の中でしたから15分で帰れますが、それでも大雪の時は1時間もかかった時もありますから、当時の農家の同級生達は凄かったと改めて思いました。
「昨日は帰るのに3時間だったぞ」「オレは4時間だったぞ」です。
時には親が馬そり(馬の後ろに付けた大きなそり)で部落の皆を迎えに来る時もありました。
当時は風呂がある家はほとんど無く、家族で「お風呂屋」さんに行きます。
同級生が一杯います。大人に怒られながらお湯をかけやっこしたり、石鹸でシャボン玉を作ったり、遊び場でした。
1月〜2月が一番寒く夜はいつも零下20度以下。
風呂から外に出て10秒位で髪の毛は針金の様にバリバリに。
タオルを伸ばすと棒の様になり、弟とチャンバラしながら帰ったものです。
息をすると鼻の穴が痛くなり、マフラーで鼻や口を塞ぎます。
するとその息でまつげや眉が真っ白くなり、みんな「お爺さん」「お婆さん」のような顔になるのです。
当時の暖房は「蒔きストーブ」「石炭ストーブ」「おが屑ストーブ」などでした。学校は木造で古く、鋳鉄でできた石炭ストーブが真っ赤になります。
しかし団塊の世代で、55人〜60人いる教室も中ほどまでしか暖かくなく、先生が途中で席を交代させます。
ストーブの周りは各自の弁当が置かれ、大しておかずのない時代でしたから必ず漬物やぬか魚が入っていましたから、いろんな臭いが充満していました。
お昼近くになるとみんなお腹をグーグーさせ、お昼にはおかずを交換したり楽しい時代でした。
下着や靴下も「北海道用」でメリヤスの下着と毛糸の靴下で厚かったですね。
楽しかったのは「鎌倉作り」家の前に鎌倉を作って、中でロウソクを立て餅を焼いて食べるのが大好きでした。
大雪の後は玄関より道路が高くなり、車がほとんど無い時代で馬車の後ろに乗って遊んだり、1mほどの「落とし穴」を作って陰で見ています。
大人が落ちて大笑いしたり、大声で怒られたり、逃げたり小さいながら自然を逆手に自分たちで遊びを考えていたものだと今更ながら感心します。
オホーツクにもやっと春の足音が聞こえてきました。
昔から見たらホントに暖かくなってきました、今の時期でも5度は違いますね。
(カテゴリ : その他)
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